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女帝物語【其四】 [日記]

夕食が終わり、後片付けも終わってラジオを聞いていた。
何時もの食後の風景。
特別に何をするでも無い。
思い付いた事や、その日の事を話しをしながら。
妻はスマホを見ながらで、私は何処を見るでも無く見ている。

ところが今日は違った!
スマホを見ていた妻が突然、スマホを持って布団へ。
そしてスマホを見ながら訳の分からない動きを始めた。
と、思ったら突然
『うーーー!』
と唸り出した。
かと思えば、いきなり突っ伏して
『あはははーーー!!!』
と大笑い…。
変な物でも食べたのか?
今日の日中は私の具合が悪かった為に1人で出掛けた。
その時に間違いが起きたのか…?
恐る恐る状況を確認しに行くと、スマホの画面に体操が出ている。
私『どうした?大丈夫か?』
妻『ストレッチをやってるんだけど出来な過ぎて可笑しい~!』
私『…。』

女帝は思い付きが御好き。
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後遺症と経過観察 [治療、経過]

先週から続いた1日の中で大きく変わる体調の波が落ち着いて来た様に感じる。
末梢神経障害に関係する痛みや痺れ、目眩、頭痛に加えて、肺炎の状態の監視。
色々と考え、確認しないと判断出来ない為、安易に薬を飲むのを控えた。
すると今回の退院後に購入した機器で測定して分かったのがSpO2の関係。
頭痛は結構な確率で93以下に成っていた。
痛みは人其々なので、簡単に説明を記載。
頭痛が無い日は無い為、我慢出来る範囲の最大値を”5”とする。
その値で”7~8”と感じる時のSoP2の値が93以下と言う事である。
しかし目眩に関しては、関連性を見つける事が出来ていない。
まぁ慌てて、どうこうと言う事では無いので、これからも観察したい。

今、天気予報を見ているが、明日も安定しない模様…。
スタバに行きたいんですよねぇ。
明日は天気次第で自転車で行けるかな?
運動もしないとだし、かづきちゃんに逢いたいし。
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なかなかですよ [治療、経過]

肺炎から回復して退院し1ヶ月が過ぎた。
退院後から近所の耳鼻科に通院して鼻の奥の処置を受けている。
今週は千葉大病院の呼吸器内科での診察も受け、状態は回復してきているとの事だった。
だが、鼻水や咳、痰そして寝ている時の激しい咳込みには、今も悩まされてはいる。
もともと退院時に
副鼻腔炎:3ヶ月
肺 炎 :6ヶ月
上記位の期間が掛かるだろうと言われていたので、自分で出来る対策をしていくしか無い。

しかし、ここ数日の天候で体調が安定せず、時折起きる息苦しさに悩んでいた。
そんな時に以前に書いた酸素吸入器の他に、近所のスポーツデポで購入した携帯酸素がなか
なか良い仕事をしてくれる事が判明した。
息苦しい時にSpO2を測定すると数値的にも88~90と苦しく感じる値であった。
息苦しさを感じる時は病院で教わった呼吸法をやって数値を回復させていた。
それでも回復しない時はひたすら寝て回復させていた。
長時間続くなら酸素吸入器をセットするが、長くても2分位の為に使う事を躊躇っていた。
そんな時に妻が
妻『この前の携帯酸素は駄目なの?使ってみれば?』
と言って来た。
貧乏性の私は
私『自分で何とかなってるし、もっと苦しい時に使う方が良いんじゃないの?』
と答えた。
すると
妻『え?何言っての?もっと苦しい時は酸素吸入器使うんでしょ。今使えば良いじゃん。』
私『あー!成る程!そうだったわ(笑)』
と言う事で、直ぐに携帯酸素で酸素吸入してみると、1~2秒程の短時間で効果が有った。
自覚でも呼吸が楽になり、SpO2の数値も92~94と改善した。
これは良い!と味を占めて何度かやったが、瞬時に97迄上がったのが最高だった。
これ以上は正直、もっと回復しないと出ない数値だと思う。
そして遊びだした私に気付いた妻は
妻『数値は回復した?』
私『うん。最高は97でそれ以上はいかないなぁ。』
妻『回復したなら、また今度ね。』
取り上げられてしまった…。
子供かっ!と言う声が聞こえてきそうなので回答は、はい!私は子供です!

話しを元に戻しますが、短時間の応急対応には十分、携帯酸素でいけます。
価格も安いので苦しい時は無理な我慢をせず、携帯酸素を使いましょう。
買っても使わないと意味が有りません。
はい!そうします。
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博愛 [日記]

博愛とは:すべての人を平等に愛すること。(デジタル大辞泉の解説引用)

意味は簡単であるが、人が行動に移す事は略不可能と言って過言では無いと考える。
特に日本の社会では【愛】と言う言葉に照れと羞恥心から口にしない方が多い様に感じる。
しかし私は小さい頃から照れとか羞恥心に縁が無く、愛してると言う事に抵抗を感じない。
ただ小さい頃は自尊心が異常に高く、其方が大きな問題ではあった。
今でも自尊心は有るが表現方法が変わって来た。
それはさて置き、人は皆、愛を欲するのではないだろうか。
老若男女に因って変わる物では無いと思う。
しかし人が人である以上、相手に因って、好き嫌い、合う合わないが出て来る。
仕方無い事で普通であると思うが、理想では【博愛】なのである。
その為に生まれて来た対処法が色々と世の中には有る。
それらをどうこう言うつもりは無い。
それよりも人を愛し愛されるのが幸せでは無いだろうか。
病院の待合室や薬局のTVでワイドショーを見ると、芸能人が不倫してどうのこうの…。

はい!はい!はい!皆さーん!
人間の理想の精神は【博愛】ですよー!
色々な人に恋して、色々な人を愛して、相手の良い所を学びましょう。
でも人間です。
好き嫌いや合う合わないは有ります。
その時は、その人の嫌な所や合わない所を考えてみましょう。
それが自分の短所ですよ。
それを理解して生活してみましょう。
人を『愛している♪』と口に出す事が恥ずかしく無くなりますよ。
人を愛する度に、人生が楽しく成り、自分が成長します。
合わない人が居たら、最大限避けましょう。
【嫌い】と言う感情に自分が縛られて、相手を見る目が無くなる前に。
自分の成長と共に、相手の事を好きに成れなくても、長所は盗める筈です。
人生を幸福に過ごす方法は、周囲では無く自分の中に有ります。
博愛
それには先ず『自分を大切にし自分を愛する』事から始まると思います。
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女帝物語【其三】 [日記]

私が退院後の話。
詰まらない事で口論に。
まぁ夫婦喧嘩は詰まらない事から始まるのが常。
其処から亀裂が入るのが女性で、何も考えていないのが男性。
私『お前なぁ、考え方おかしいだろ!』
妻『何で!前に自分で言ってた事でしょ!』
私『喧しい!意味を履き違えてるわ!そんな意味で言ってね!』
妻『理解出来る様に言わないのが悪いんだよ!』
私『あー!面倒臭い!出てけ!』
妻『断る!』
私『断れる権利無いわぁ!ここは俺ん家だ!』
妻『結婚したんだから私ん家であるんだ!』
私『ごちゃごちゃ面倒だな!大体、1年前は直ぐに泣いてたのに、何言い返してんだ!』
妻『1年でこう言う風に育てたのお前だろ!煩いのはお前だわ!』
私『…。』
妻が大正解!過ぎて返す言葉が無い。
妻よ、間違い無く貴女が正しいです。
御免なさい。
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生きてきて生きていて生きていく【其二十七】 [治療、経過]

通常、入院生活が長くなって来ると外泊する方が増えて来る。
しかし、私の場合、中途半端に外泊して悪化すると命に関わる為、自分でも希望する事を
悩んでしまっていた。
それならばと、外泊では無く退院を目指して、しっかり治療をしようと自分に言い聞かせ
て、日々の生活やリハビリをしていた。

しかし流石にGWが近付くと心中穏やかでは無かった。
家に帰りたいし、釣りはしたいし、遊びに行きたいし…と、身体の状態から掛け離れた希
望が沸々と心の底から湧いてくる。
退院出来たとしても、叶う願いは家でGWを過ごすだけ、とは分かっていたが。
加えて、私の肺炎の周期が丁度、週末~週明けに絡んで来るので、自宅で出来る事は耐え
忍ぶ事に成り、解決するには病院に居るのが一番とも考えていた。
その事は先生も理解していて、会話の中にも悩んでいる言葉が漏れていた。

GW前半の4月28日(土)~30日(月)の3連休は病棟内も外泊している人が多い様子。
何時もに増してシーンとしているし、デイラウンジも貸切り状態。
シャワーも好きな時間を予約し放題。
そして決まった夕方の時間に妻が面会に来る平穏無事な時間が過ぎていった。
この時間はこの時間で楽しかった。
普段では気付かない、のんびりする事から貰える安心感。
何もしないのんびりする事、考えてみれば今迄は殆ど無かった様に思う。
家でゴロゴロ寝ている時は、前日に飲み過ぎたか何かして疲れた場合が殆ど。
入院で意図せず貰えた時間の使い方。
今後の人生にも役経つと思う。
役立つと言えば、今回の入院で受けた理学療法士さん、言語聴覚士さんからの様々な説明。
これは今迄の生活で意識した事が無かった事が殆どで、改めて自分の健康に注意して生活
していく上で、今後共、注意していこうと思ったし、今も実践している。
お陰で、体重も増加する事無く、退院時の体重を維持している。

5月1日(火)連休明けの平日。
病院は当然ながらやっている。
この日、担当の先生の回診で嬉しい一言を貰った。
先生『芦沢さん、連休どうでしたか?』
あし『はい。何時も通りで異常有りませんでした。』
先生『今迄、週末に絡んで肺炎を起こしてたんですけど問題無かったですね?』
あし『はい。特別、痰や鼻水が増える事も咳やくしゃみが増える事も無く。』
先生『それでは一旦、退院して自宅で療養して様子を見る事にしましょう。』
あし『えっ!良いんですか!家に帰って良いんですかっ!』
先生『はい。そうしましょう。でも完全に治ってませんので注意が必要です。』
あし『はい。』
先生『完全に治るまでは気を緩めず、異常を感じたら直ぐに病院に連絡ください。』
あし『はい。分かりました。十分、気を付けます!』
こうして5月3日(木)の退院が決まった。
この時の嬉しい心境を表現出来る言葉は無い。
どんな言葉を使っても、色々と言葉を重ねて表現しても足りな過ぎる。
正直、優しく可愛い看護師さん達や助手さん達と離れるのは辛かった。
しかし、私が住む場所は病院では無い。
元気に成って、回復した姿を、偶に迷惑を掛けない程度に見せに行こうと思う。
だって逢いたいんだもん。

普通に生活していたら、釣りや遊びに行ったり、何か食べに行って終わっていた3ヶ月。
調子が悪く成り出してからだと5ヶ月位。
この間に色々な事を経験し、色々な事を考えてきた。
この経験や得たものを無駄にする事無く、これからも楽しい人生を送っていきたい。
その為には、周囲の人の笑顔を見たい。
大好きな人達と大騒ぎし大笑いをしたい。
遠く離れていてもお互いに想いあって、大切な関係を続けていきたい。
そして、これから出会う人達とも笑顔で思いやりを持って付き合っていきたいと思う。
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生きてきて生きていて生きていく【其二十六】 [治療、経過]

入院生活も31日(1ヶ月)を超えると不安になり、心が落ち込む事が出て来る。
このまま退院出来ずに肺炎を繰返すのではないか?とか、新たな病気に成り肺炎と共に悪化
していくのではないか?とか、もうさぁやに逢えないのではないか?とか、もうさぁやの超
絶カワイイ笑顔、大好きなキュートなエクボを間近で見る事は出来ないのではないか…等々。
その為、病室のベットで寝転んでいるよりも、明るいデイラウンジへ行って、外をボーッと
眺めていると、心が落ち着つく様に成って来ていた。
狭い部屋で考え出すと、狭いルートで堂々巡りをするが、多少でも広い部屋に成ればその分
堂々巡りは広がる。
そうする事で、少しでも明るく自分の現実と向合え、堂々巡りに成っても明るく回れる。
比較する事では無いが、病気に因っては半年、1年間の入院が当たり前の病気が有る。
難病を患っている首相さんにも拘わらず、そう言う病人の心が全く理解出来ないらしい。
海外へ行って何兆円もODAとして配ってくる割りには、国内の福祉、保健対策は減額する。
私達の税金を、自分の海外での評価を上げる為に使用し、病院、薬局、福祉施設等の予算は
削減していく矛盾以外の何物でも無い政策を行う。
それを国会で追及されたら、しどろもどろになり、辻褄が全く合わない訳の分からない答弁
しか出来ず、内容も誤魔化しとしか受け取れないもの。
成長代の無い老人より、成長代が大きい若者に失敗して貰った方がまだ未来が有る筈だ。
残されている見込み時間が全く違うのだから、経験して貰い自信を持って貰いたい。
とは言え、違う方向へ進まない様に、監視の目はしっかりとしなくてはならないとは思う。
現状の改革、改定を出来ないとしても、私は諦めず自分が出来る事を継続して行い、少しで
も社会が変わっていく様に、そして生活し易い社会になる様にしたいと思う。

話しが横に逸れ過ぎたので元に戻す事に。
デイラウンジへ行くと私と同じ様な方が居て、何度か会うとお互いに気付き、挨拶を交わす
様になり、そして会話する様に成る。
年齢的には私より上だが、色々と話をしていると楽しい。
多分、お互いに良い気分転換に成っていたのであろうと思う。
朝は5時頃から始まり、朝の巡回でベッドに戻ると言う感じだった。
難病患者も入院期間が長く成る事が多い為、名前は知らないが部屋番号と顔は分かると言う
方が増えて来る。
そして仲間が増えて来ると、自分だけじゃ無いんだ、と鼓舞していける様に成って来る。
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生きてきて生きていて生きていく【其二十五】 [治療、経過]

看護学生さんと同時期に少し長い期間で医学部学生さんの御手伝いもしていた。
看護学生さんと同様に医学部学生さんも意識の高い勉強家の学生さんだった。
看護学生さんが明るく楽しく会話してくれる可愛い娘さんで、医学生さんは真面目で寡黙な
タイプでありながらも、時折見せる笑顔に愛嬌があった。
医学生さんの御手伝い期間は2週間だった。
医学生さんも治療や検査は行わず、問診と診察の勉強で来ていた。
この医学生さんの御手伝いをする時にも嬉しい再会があった。

看護学生さんの時と同様に、御手伝いする前に先生方が確認に来る。
その確認に来た先生は2人で、その1人が化学療法1コース目開始から約2年間弱、私の面倒を
見てくれた先生で、とても熱意はあるが冷静で真面目な先生だった。
私の体調を気遣って処置してくれたり、緊急で時間を問わず対応してくれる等々、患者は私
1人では無いのに細かい対応をしてくれた先生で逢いたいと思っていた。
こんな形で再開するとは思ってもおらず、今回の入院で嬉しい再会が多数あり、それが私の
生きる為の背中を後押ししてくれたと感じている。

医学生さんは看護学生さんと違い、診察に来るのは1日1度で16時頃であった。
看護学生さんが9時~15時迄だったので、丁度入れ替わって来る感じに成っていた。
その1時間は、とてつもなく眠くなる。
丁度、燥ぎ過ぎた子供が、突然、寝る様な感じである。
正直、動くと言ってもリハビリと自分で病棟を歩く位で疲れてしまう状態。
デカい身体を1日動かすだけの体力が戻っていた訳では無い。
その為、気付くと寝ていたと言う事は良く有り、自分でも仕方無いからのんびりしていた。
なので、医学生さんの診察が終わるとシャワーの時間になり、上がって一息ついたら晩御飯
と言う様なサイクルに成っていた。
自分で意識して、寝る時間を減らし起きている時間を延ばしていったのも、この頃から。
退院は全く分からなかったが、それでも退院後の生活を想像し、今から少しずつ活動時間を
合わせていこうと考えていた。
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生きてきて生きていて生きていく【其二十四】 [治療、経過]

絶飲食後初の食事は全粥と嚥下食のおかずだった。
絶飲食後の初めての食事は、本当に美味しかった。
食べられると言う嬉しさと回復してるんだと言う喜びでいっぱいだった。
嚥下食と言う事で、飲み込み易いおかずが中心になり、春雨は長さ5㎜位にカットされて
からおかずに成っていた。
初見は多少の違和感を感じながらも、食事が出来る嬉しさには敵わなかった。
それに誤嚥性肺炎を避ける為でもあるが、絶飲食10日後でもあり普通に食事が出来る筈も
無いので、好都合だと思った。

そして、この頃に看護学生さんの実習の御手伝いをする事になった。
自分の娘達と同年代の学生さんの手伝いが出来て、更に心配迄されると、娘に心配されて
いる様で嬉しかったし、毎朝、来てくれるのが待ち遠しかった。
また、若い人達が他人の為に人生を掛けて仕事しよう、と言う心がとても頼もしかった。
人手不足だからと言って、単価を上げてアルバイトを募集しても人が来ない、と良く言わ
れているが、団塊の世代が御客さんで入って来る人数を、今のアルバイト可能な学生さん
達の人数で賄いきれない、と言う社会構造が出ているだけでは無いのか?と思うのだが。
はっきり言えば、年金構造がとっくに崩壊していると言う事である。
法律を成立させた!は良いが、それをどう運用するか、どう適合させていくか、と言う肝
心要が脱落している。
自分達の時代のアルバイト料と比べて、人が集まらないから贅沢になっていると言う短絡
的な発想では、何時まで経っても時代に即した政策も政治家も育たないと考える。

話しが大分横道に逸れてしまったので元に戻す。
看護学生さんが私の面倒を見てくれる、と言っても、実際は看護師さんに付いて貰って医
療行為以外の、検温、血圧測定や検査室に連れて行って貰う等であった。
それでも、私に付いてくれた看護学生さんは意識が非常に高く、一つ一つの業務に真剣に
取組んでくれて、かつ自分の昼食迄飛ばして介助してくれ様としていた。
それは流石に断った。
仕事として勤務する様に成ったら嫌でもやらなければならない事であり、その仕事に就く
前に身体を壊しては何の意味も無いのである。
それにやった事を覚えるなら、作業を連続するよりも、途中で休憩を挟んだ方が頭に入り
易いだろうし、整理し易いと思う。
そんな熱血感のある娘が私に付いたのに、私がする話と言えば食べる話ばかり…。
役に立ったんだろうか…?
かなり疑問は残るが、これも縁と言う事で看護学生さんに何かを見つけて貰おうと思う。
何卒、宜しくお願いします。
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生きてきて生きていて生きていく【其二十三】 [治療、経過]

絶飲食は10日間続いた。
理由は、肺炎の理由が明確に成らない為、誤嚥性肺炎を疑っての措置。
この時、副鼻腔炎もあり、原因を消去法で見極める事が目的だった様に感じた。
実際、複数原因があった現場では私も消去法で原因追及をして来た。
とは言っても、私の場合は設備機械であるが。

10日間も絶飲食に成ると、これまで困っていた減量もしっかり出来た。
89㎏弱の体重が77㎏になり、先生に言われていた【体重を元に戻す】を達成。
何も食べなければ体重は減ります、を身をもって証明する事になった。
望んだ減量方法では無いものの結果オーライと言う事で。
退院後の外来でも先生と良いダイエットに成って良かった良かった、と冗談を言っていた。
実際のこの時は真逆で、退院なんて夢のまた夢で、必死だったと思うし、私も必死だった。
このまま退院出来ない、と言う事も頭に置いての必死の日々だった。

絶飲食が終了と時を同じくして呼吸器内科へ転科に成った。
理由
1.MGの悪化が見られない
2.肺炎の理由がMGが起因していると考え難い
3.現在続いている肺炎の連鎖を止める事に集中する
と言う事であった。
生活していも自覚としてMGの症状は無かった。
その点から考えても、神経内科から呼吸器内科への転科措置だったと思う。
併せて耳鼻科にも掛かり、副鼻腔炎で詰まっている鼻の奥の処置や喉の気管と食道の入口を
画像で確認して貰い、可能性のある事は検査し確認して原因究明を定期的に行っていた。
この頃に成ると、副鼻腔炎の炎症が何らかの原因で肺に流れ込み肺炎を発症させている、と
言う様に考えられる状況が分かって来た。

ところで話しは遡るが、3回目の発作は3日目の月曜日には自分で歩いてトイレに行ける迄に
回復していて、熱も35.8~37.8度の間の変化に落ち付いていた。
その為、使用していた酸素量も今迄と違って早く減らしていけた。
減らしていく際は、付けていた心電図とSpO2をモニターする機器データを、スタッフルーム
からモニタリングして貰い、安全に減量して行った。
何故、3回目の回復が早かったのかは分かっていないが、私には嬉しい事であった。
その後も順調に酸素量を減らしていく事が出来き、マスクから大容量カニューラには、割と
短時間で戻れたと記憶している。
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