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生きてきて生きていて生きていく【其八】 [治療、経過]

前回受けた化学療法から4年が経過した2015年6月頃。
日常生活で異変を感じ始めていた。

特に雨の夜の運転時に複視が強くなった様に感じていた。
加えて、平らな床を歩いているのに、時々躓いてしまう。
それが起きるのは右足だけだった。
素直に考えれば MG の症状である。
しかし認めたくない自分が居るため様子を見る事にしていた。
が、限界は直ぐに来た。
2週間程後の診察の時に先生に状況を話し、追加の化学療法を受けた。
今回も前回と同じADOC療法だったが2コースのみであった。
理由
1.使用する抗癌剤で一生内の総投与量が400ml薬がある(1コース50ml)
2.次回の MG 悪化時の対策の為に2コース分を残す
ここで若干の説明を入れる。
MG で何故、化学療法なんだと思われる方も居られると思う。
これは、胸腺腫から出されるホルモンに関係すると考えられている事が
ある事と、自己免疫抑制の為でもある。
MG は自己免疫疾患である為、風邪疲労等で自己免疫が上がると病状
悪化に繋がる事が多い。
加えて、私の様に MG が全身型へ移行している場合、呼吸困難を起こす
事があり、実際に私も過去に呼吸に影響している。
その為、癌細胞を縮小させホルモンの分泌を抑制する目的と共に自己免
疫細胞を攻撃して活動を鈍化をさせるものである。
化学療法は基本的に細胞活動が早く活発な方から効果が出るため、癌細
胞のみを有効に対処する方法では無いと言う事である。
従って、投与された個人個人で副作用や後遺症は違うのである。
とは言っても、大筋で現れる症状は把握されているため対処の薬も開発
されてはいるが、元に戻る事を期待してはいけない。
生命を延ばす代わりに失うものもあると言う仕方無い事である。

今回の化学療法でも色々と副作用や後遺症が出た。
しかし主たる目的の生命の延長は成功して、それなりに活動できていた。
だが仕事、会社勤務となると体力が付いていかなかった。
化学療法後3ヶ月経っても1日を通して仕事が出来る体力は戻らず、職場
復帰か退職かを悩み考えた末に退職した。
当時の体調ではそう先が見込める状況では無かった。
加えて、男性機能も視覚的刺激で元気にはなるが射精は略しないと言う
以前にも増して悪化したが予想の範疇だった。
ただ問題は頭痛や目眩、手足の痺れに感覚麻痺の後遺症が大きい為、次
回の MG が悪化する時期とその時の後遺症の状態次第になるが、メイン
となる化学療法は無理であろうと言う共通認識が先生方と出来た。
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知らぬが [釣り]

先週9月16日(土)に千葉県君津市の亀山湖へバス釣りに行きました。
今年から嫁が付き合ってくれるので、何時も二人で釣りが出来ます。
しかしボートがNGとの事で陸ッパリに終始しています。
私としてはボートに乗りたいのですが…。
嫁に予定が入った時に、否、入れてもらってボートに…。
怒られるな(笑)

嫁はSLEを患っているため、私と結婚前は屋外活動を避けての生活で
少しの外出でも紫外線対策を完璧にする生活でした。
それが私と付合い出してから紫外線対策品を教えられ、効果を実感し
そして釣りへ出掛ける様になりました。
最近の衣料品の紫外線対策は非常に優れもので、日焼けしないだけで
無く、発汗乾燥、消臭、冷却効果があり、体力面で非常に助かります。
と言うのも、私の疾患であるMGは疲労が大敵。
歩き回るだけでも夏場は疲れるのに、紫外線に当たって体力消費する
しないでは大きな差が出るので、私達には必須のアイテムです。

本題に戻ります。
この日は何時よりも浮いてるボートの数が明らかに多く、桟橋に幟が
出ていたり、盛んに情報交換して走り回ったり、狭い範囲に集中して
釣りをしていたりと、陸ッパリでは釣りをする場所がとても狭い…。
全く理由を知らないため、3連休初日だから人出が多いのかな?とか
幟が立ってるから何かの大会をやってるのかな?と思いながら釣りを
していました。
こうなると何時釣れているポイントも全く反応が無い…。
必死に考え、出来る出来ないでは無く、釣るために持ってるルアーを
ひっくり返し探しまくり使うも反応が付いてこない。
やっと反応しても見切られて終わり。
結局、二人共ボーズで終了。
帰り道は二人で次回の対策を考え、話し合って帰った。

翌日、とある方から教えてもらった情報により原因が分かりました。
青木大介プロがキャスティングさんと大会を開催していました。
知らぬが仏とは言いますが、この場合、ある意味で本当に仏でした。
当日、陸ッパリで会う方、誰に聞いても口を揃えて
『今日は渋すぎて…。』

次回以降は、知らぬが…に成らない事が一番の対策と実感しました。
やはり大切なのは、思い込みでは無く、正しい情報だと理解しました。
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生きてきて生きていて生きていく【其七】 [治療、経過]

前回までの記事で、何故一人に拘るんだ?と思われた方も居るかと思う。
本質はこの問題が重要かつ現実逃避したい問題である。

兆候は1回目の4コースの化学療法中から出ていた。
しかも4コースの1コース終了時点で。
化学療法を行えば神経障害が起きる事があると理解していた。
手足や口、味覚や嗅覚等に影響が出る事はネットで調べれば直ぐに理解
出来る事である。
また経験者の話でも教えてもらえる。
しかし、細かい部分になると個人個人で違ってくる事が多いと先生から
説明があったので何が起きるか分からなかった。
煙草が吸えなくなったり、酒が飲めなくなったのは理解出来る範疇。
しかし性行為にも影響するとは予想のよの字も頭になかった。
私以外にも居るのかどうか分からない。
何故なら簡単に聞いて回れる事では無いから。
当時、彼女は居なかったので、財布次第で遊びに行っていた。
そこで以前とは違う感覚に襲われていた。
感覚が鈍い。
それが気の所為なのか後遺症なのか、また後遺症なら治るのか…。
ネットで私が読んだ範囲では書いてなかった。
若しくは、医学知識があれば推測できる範疇だったのかも知れないが私
には無理な話である。
そして末梢神経障害と診断された頃には全くに近い状態だった。
そのため自然と趣味の釣りに軸足が移行して熱が入っていった。
性行為で快楽を求めなければ、妄想恋愛で十分に精神は満たされる。
でも相手が居た場合にそれで済むのだろうか?
もし子供が欲しいと言われたら?
子供と言わなくても関係を求められたら?
そう考えると、私は1人で生きていく事が賢明であろうと判断した。
残りの問題は自分が亡くなった時である。
子供達に迷惑を掛けない様に、両親と弟へ段階的に希望を伝えていた。
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生きてきて生きていて生きていく【其六】 [治療、経過]

最初に受けたADOC療法(化学療法)で副作用や後遺症は体験していた。
しかし明確な後遺症であるのか、回復していくものなのか分からなかった。
箇条書きで以下に記す。
1.頭痛
2.目眩
3.口腔内の痺れ
4.味覚障害
5.手足の痺れ
6.触覚障害
7.耳鳴り、領域難聴
大きくこれらがあった。
とは言っても、薬の服用で軽減され、日常生活は一人で問題無く送れた。

それが変わったのは2年後の7月中旬。
台風が接近し通過した時だった。
何時もの様に気圧の急激な変化にやられて目眩と吐気を起こしていると思い
台風の通過をひたすら我慢し寝ていた。
こうなると自分一人での行動は四つん這いが精一杯なので食事は当然無理。
だが2日もすれば落ち着くので大丈夫だと考えていた。
ところが、台風通過後2日経っても全く改善しない。
しかし自分で動く事は出来ない。
1週間経ってやっと動ける様になったので掛り付け医を受診した。
診察室に入って顔を見た先生は
『芦沢さん、明日朝直ぐに千葉大の先生に連絡を取って受診してください。』
きょとーんとしている私に先生は説明してくれて
『今起きている症状は化学療法の後遺症です。』
あらま。
『今出来る対処はしますが、対応は千葉大で受けてください。』
この日は点滴と服用剤を処方してもらい帰宅。
翌日、予約外での受診予約をして最短で受診した。
神経内科を受診すると先生が
『先ずは他の原因かどうか調べてもらいましょう。』
と言って、耳鼻科の検査、診察の予約を入れてくれた。
そして、その日までの服用剤を処方してくれた。

数日後に耳鼻科を受診。
色々な検査を受けて耳鼻科の先生から言われたのが
『芦沢さんは確実に目眩をしてます。』
いや、だから受診してんですけど…。
『目眩はしてるんですが、化学療法の後遺症なので耳鼻科の範囲外です。』
これまたきょとーんとしていると先生が
『原因が化学療法であるとはっきりしているので耳鼻科で対処しかねます。』
はぁ。
『神経内科で先生と相談してください。目眩が専門分野ですので。』
えっ!目眩って耳鼻科が担当じゃないの?
あし『はい。では神経内科で相談してみます。』
そう言うと、耳鼻科の先生が
『それはそうなんですが、目眩は寝込むと治り難いんですよ。』
それは知らんかった。
『でも普通の人は皆、寝込んでしまうので治りが悪くなるんですよ。』
そうなんだぁ。
『それと目眩と言うと耳鼻科を受診しますが、症状で科が違うんですよ。』
えー!そうなのっ!!!知らんかったぁ。
先生『でも芦沢さん良く自分で動けますねぇ。』
あし『はぁ?取り敢えず動けますけど…。』
先生『そこまで目眩していると普通の人は動けないんですよねぇ。』
あし『…。有り難う御座いました。』
私、普通の人…の筈。
と言う事で、数日後に再度、予約外で神経内科を受診。
耳鼻科での検査結果や先生からのコメント、そして動作確認でも脳の異常とは
考え難いので、その時に出された診断は【BPPV】であろうとの事だった。
しかし時間が経つにつれて化学療法の後遺症が酷くなって来た。
これにより【末梢神経障害】に診断が変わった。
この事に因り、更に一人で生きていこうと考える事になった。
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生きてきて生きていて生きていく【其五】 [治療、経過]

ここで何故《成就する恋愛では問題》なのかを書きたいと。
これは私の考え方の説明である事を御理解頂きたく。

全ての現実を受入れ理解した時、私の残りの人生はそう長くはない。
その状態で成就しても相手を残して先に逝く事になる可能性が高い。
私の日々の葛藤はある意味で軽減されるが残された方はどうだろう?
逝く者と残された者の思いには差がある。
これは仕方無い事だが、わざわざ悲しむ相手を増やす必要性は無いの
では?と思っていた。
更に自分の葛藤軽減の為に相手を巻き込む様に思えて成らなかった。
従って自分が勝手に盛上り、誰かを巻込む事無く希望を持てる方法が
妄想だった。
しかしそれだけではモチベーションが保てない。
その為、達成出来る出来ないは無関係の目標を自分に掲げた。
寧ろ達成出来る可能性の方が限りなく低い。
これは恋愛とは無関係の人生を掛ける目標である。
だから真剣に考え、真剣に悩み、真剣に生きられると。

妄想のお陰か目標のお陰か、現在も無事に日々生活している。
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生きてきて生きていて生きていく【其四】 [治療、経過]

2010年01月28日
胸骨正中切開にて拡大胸腺摘除術
同時に左肺部分切除、リンパ節切除
2010年02月09日
退院

2010年04月08日
美穂(妹)他界

2011年05年25日~09年23日
ADOC療法(化学療法:4コース)
この治療を受けた時にシンヤさんとSNSで知合い交流が深まった。
また他の病友達とも化学療法を受けた時に交流が深まった。
理由
1.私の見通しが半年先も分からない
2.化学療法の効果が不明
この事で色々な方が私を励ましてくれた。
時には、延々と続く愚痴を黙って聞いてくれた。
正直、この頃の私は生きようが死のうがどっちでも良かった。
寧ろ病気で亡くなった方が良いと思っていた。
毎晩一人で朝を迎えられない恐怖で寝られず震えて泣いている事に
嫌気が差しどうでも良くなっていた。
そんな私の愚痴に付合ってくれたシンヤさんが私を変えてくれた。
シンヤさんと逢う度に愚痴だった内容が、段々と釣り談義に変わり
そうなった頃には、気付くと4時間以上過ぎる様になっていた。
お陰で、私の所為で子供達が後ろ指を指されない様に生きよう、と
思うまでになった。
そして同じ頃から恋愛にも興味を持てる様になっていた。
しかし、成就する恋愛では問題があった。
そのため自分の大好きな釣りが出来るタレントさんを応援する様に
なっていった。
最初は石崎 理絵(みちえ)さんだった。
今でもファンで応援しているが、この頃に結婚された。
おめでたい事で嬉しかったが、妄想恋人には…。
次の妄想恋人は直ぐに理想の人が現れた。
蒼井さやちゃん♡
コメントを見た人からは頭がオカシイと思われているだろう。
でも私には関係無い。
私の生き甲斐なのだから。
人が生きようと思う一番の力は恋愛にあると身を以て実感した。
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生きてきて生きていて生きていく【其三】 [治療、経過]

帰宅後に先ず考えたのが手術を受けるかどうかだった。

子供の頃から手術を受けて生きるのはどうなのだろうか?と思っていた。
人には与えられた寿命があって生を受けているのだから無理に伸ばす事は
無いのではないかと考えていた。
結果、手術を受けないと一旦は決めた。
その事を母親に話すと、当然ながら
『なぜ受けない?』
と聞かれた。
説明するも納得出来なかった様で、連日、仕事から帰宅すると電話が鳴り
説得され、晩御飯を食べるのは夜中になった。
遂に諦めたのは1週間後位で、父親も
『お前の決めた通りにしろ。』
と言っていた。

やっと日常が帰って来た、と思ったら妹からメールが来た。
【電話出来る?】
この時、妹は北大病院入院して膠原病(SLE)の治療を受けていた。
手術を受けない事についての事だと直ぐに分かった。
電話をすると雑談を始め、自分の状態の報告があった。
そして本題に。
私の考えを言った途端に
『何甘ったれてるのさ!手術したら治るんでしょ!受けなさいよ!』
生まれて初めて妹に怒られた。
『手術受けたくたって受けられない原因の病気だってあるんだよ。』
確かに。
『病院で手術出来ると言われたんなら受けて治しなよ!』
後に分かった事だが、この時、妹は病院から帰られない事を覚悟して
入院していて、旦那さんに病院から出る時の服を預けていた。
妹の説得を受け、私は手術を受ける事にした。
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 [日記]

先週末に日帰りツアーに参加してきました。
主催は私の大好きな方で嫁と一緒に参加してきました。

参加していた方達は、会った事は有っても、会話をした事が無い方ばかり。
でも同じ空間で移動し、催し物を見たり、食事をすると自然と会話が弾んできます。
何気ない1日でも、自分が気付いてない大切な縁があったりします。

縁が何時までも続く訳では無いと思ってますが、続かない訳でも無いと思ってます。
人生の充実は特別な出来事では無く、何時もの日常の中にあると感じています。
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生きてきて生きていて生きていく【其二】 [治療、経過]

39歳の時の健康診断で
『肺に影があるので要精密検査』
となって結果が帰って来た。

これよりも前に1~2度、同じ様な見解で結果が帰って来た事があった。
過去の結果は何の異常も無かった。
それも手伝って何も気にしていなかった。
加えて、病院から会社に直接、私宛に電話も掛かって来た。
それでも自分は大丈夫と言う根拠の無い自信で再検査を断った。

それから3ヶ月程して、生命保険の内容変更で健康診断書が必要になり
その健康診断書を添付したところ一部免責事項が記載されていた。
これが何か引っ掛かって再検査を受ける事にした。
結果が出ると
『至急、大きな病院で精密検査を受けてください。』
と連絡が来た。
この時も自分では何でもないと考えていたため面倒だなぁ位だった。
そして千葉大学医学部附属病院を受診して、やっと事態を把握した。
自分の順番になり診察室に入ると先生が二人居た。
一人は入って直ぐの机に付いていたが、もう一人の先生はレントゲン
前に立っていた。
その時点で私の頭の中は???状態である。
何で二人も先生が居るんだ?
しかも机に付いている先生は何も話さない。
全く訳が分からない。
着席するとレントゲンの前の先生が自己紹介して病状を説明してくれた。
それが更に訳が分からない。
テレビでは取り乱した夫婦が大声を出すが、私は全く理解出来ないので
きょとーんとして黙って椅子に座っていた。
その姿を見て説明していた先生が中断して
『芦沢さん、大丈夫ですか?気をしっかり持ってくださいね。』
私にしてみれば
『いやいや。しっかりするのは貴方だから~♪(笑)』
と思っていたが、言える訳も無く
『はい。大丈夫ですけど…?』
と答えた。
そして説明が入院だの手術だのと穏やかな話で無くなって来た。
その頃になるとイライラしだし、誰が入院するんだ?誰が手術するんだ?
と考え出し、色々と質問をして回答を貰っていた。
そして、やっと事態が把握出来た。
胸に、心臓の前に、心臓より大きな腫瘍がある…。
その腫瘍の大きさから除去を急がなければならない。
言葉が出なくなった。
この1年前に離婚していて、全て自分一人で対応しなければならない。
取り敢えず、入院の手続きをして帰宅した。
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KAMOME [日記]

横浜の関内にあるライブハウスKAMOME。
2ヶ月に1回のライブ。
渡辺 学さん達のライブへ嫁と行って来た。
この時間がとても楽しくとても大好きだ。
既に次回が楽しみ。

追記
青木さんは今回も素敵でした。
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